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ナムジャイブログ

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何の疑いも持たない自分の信念を持っている人は、オメデタイ場合がある。
厄介である場合がある。
何も知らない。
自分が正しいと思い込んでいる。
むしろ、他人の意向や意見に振り回されるのは、幸福になる障害である、と説く訂製月曆
自分軸を持つ。
つまり他者の言うことを聞かない、耳を貸さない。
一旦聞いてから、言うままにならない、従わないのならまだしも、最初から耳自体を持たない。
自分の考えに疑う余地もないと思っている。

それは、違う。答えは一つではない。
人間や物事の一面はそうでも、多面的側面がある。
その多面的側面があることを知りながら、あえて言及しないのは納得できる。
が、多面的側面を一刀両断している。
ある意味、潔い、、、のではあるが、
自分のこころの衛生上、幸福度を上げるためにも正解ではあるが、、、
少しでもこころの隅っこに、自分は正しくない面があるということを認識してほしい。
ちなみに、幸福論では、「正しい」「正しくない」には判断できる根拠や基準がなく「好き」か「嫌い」か、らしい滅蚤
そうやって、自分をどんどん幸福に導いていくのは、浄化され天国に近づいて行くかの如く、素晴らしいことだと思う、、、ものの、、、

わたしはやはり、人間には欠点があるし、間違いや失敗も起こす、そのマイナス、影の部分も受け止めなければいけないと思う。
ではあるが、なかったことにするほうが、幸福になれる場合による。
大事故や災害、病などには、原因を客観的に追求はしても、受けたこころの傷、マイナスには触れないようにすべきだとは思うが、
普通の日常、ノーマルに戻ったら、人としての陰と陽があることは陰を否定するのではなく認めてほしい。

それと幸せな家庭とどう関係があるのかと思われそうだ。
自己肯定は自分を幸せに導き、幸福度を上げるのはよく理解できるのだが、
自戒や自省を含めて、なんだか片手落ち感を感じずにはいられない。
自分が幸せになるためには、他者の不幸に目を瞑らなければならない?
自分も家族も幸せをシェアすると良い。
よく言われる言葉がある。
喜びを2倍に、悲しみを半分に。

その、喜び分野はよくわかるのだが、夫婦間でエゴ等のぶつかり合いはどうしているのかと。
取るに足らぬ普通の当たり前のことなので、わざわざブログには書いていないのだろう。
それにしても、、、なんか、プラスばかりでは、わたしは落ち着かない。
あのFIREブログ主は、夫婦でお互い見て見ぬふりをして、幸せ度をアップしているのだろうか手臂粒粒

人が幸せになろうと努力しているのに、あれこれ思うのは、土に穴を掘って吠えて埋めるならいざ知らず、しかも自分のブログに書いて公開するなど、ほんと、余計なお世話である。
ブロガーさんが自分のブログに良いことだけ書いて、言いたいことだけ書いて、何が悪い?
嫌ならそのブログを読みに行くな、来るな、である。
こんな言いがかり的なことを本人には直接言ってないし、言う必要もないし、影響力のない自分の蝶ブログに、ボソボソ呟いている。

しかしまあ想いを吐き出すのに、こんなに文字数を使い、気分が悪くなるほど長文になってしまった。
本当は、ズバリ、ズバっと書きたいのだが(文字数もほんの少しで収まる)、人を斬ると自分も不快になる厄介な性分なので、いつもオブラートに包み過ぎて、なんのことやらわかりにくい。
言いたいことが吐けて気分スッキリかというと、そんなこともなく、長すぎて、船酔いした気分。
誰をも幸せにしていない。

まあ、そういう日もある。