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まあ良いけれど。
「経済を握る人は強い」という見本。
だが、ダブルインカムだから強く出られる。
長女が一人で家計や家事育児を支えるとなると、今のようにはいかない。
娘婿のマンパワーは必要不可欠である牙醫診所。
(もちろん、経済的にも)
わたしなど、「弱い見本」の最たるもの。
でもまあ良い。
どうにか今日までやってきた。
これから先、今より健康になることはあり得ないし、病気になる可能性も大だから、一人では不安である。
無償でわたしのために、あれこれしてくれる人は、他人にはいない。
それに、娘一家と付き合っていくにも、一人だと弱い面がある。
6対1では数的にも圧倒的に劣位BB腸絞痛。
仲間はずれ意識が芽生えるかも知れないし、へんに遠慮したり、、、。
夫婦二人なら、別の単体として、長女一家と対峙できそうだ。
次女や息子は自立しているからグループ外に位置し、味方でも敵でもない。
わたし一人だと、どうも弱い。
何かにつけて。
この女性の時代に、専業主婦希望の女子が増加しているとか、していないとか。
時代に逆流して、わたし、長いものに巻かれろ方式にしようかと思っている。
あの世まで、まだ30年もあるのに。
実質的には20年ぐらい残っているのだが。
頑張るのが、めんどくさいのである。
誰のために頑張るのか?
もう対象はいないので、自分のため。自分ファースト。
自分のためなら、頑張らない。
自分に手の込んだ料理は決してしない。
自分を喜ばすために頑張る人もいるだろうけれど、個人個人の性質や考え方によってそれぞれだろう。
そうやって、頑張りから手を離すと、とてもリラックス出来る。
ああいい湯だな、と喜んでいたら、長女が子供のうちの一人や二人を後継者として出してもよいよ、なんて唐突な提案をしてくる。
わたしは、もう「家」は卒業した感があるので、嬉しくないことはないが、目を輝かせるかというと、もはやそうではなく、腰が重い。
自分の全身全霊をかけて守り頑張ってきた姑の投げたボールを、ひょいっと身をかわして受け取らないでいるところなのに。
後ろからひょこんと球を受け、投げる準備をしている状況が現れ、驚いている心臟檢查。
手を離そうとした矢先。
そういうものだろうか。
でも、わたしはすっかり魂も気力も抜けた抜け殻になっている。
空気の抜けた、だっこちゃん人形は穴が開いて、いくら息を吹きこんでもピンと張らない。
今はわたしはどうも凪状態のようで、何をする気にもならない。
栄養を補充しない限り、衰える一方なのか。
まだ30年もあり、いたって心身健康なのに、この脱力状態、やる気なさは、何だろう?
次のステージへの踊り場、溜まり場?
パワー、エネルギーがチャージされるまで少し時間を必要としている。
価値観の変移途中なので、すっかり移行するまで。
そんなこと言いながら、チャージされないで失われる一方かも知れない。
成り行きを見守るしかない。
頭の上にはずしりと高齢の親たちが載って詰まり、下からは活気ある力でパワフルに突き上げられ、さらに下の下からマグマの源が生まれ、、、
否が応でも、動きのあるものに押し出され移動を余儀なくされる激流を感じずにはいられない。
「経済を握る人は強い」という見本。
だが、ダブルインカムだから強く出られる。
長女が一人で家計や家事育児を支えるとなると、今のようにはいかない。
娘婿のマンパワーは必要不可欠である牙醫診所。
(もちろん、経済的にも)
わたしなど、「弱い見本」の最たるもの。
でもまあ良い。
どうにか今日までやってきた。
これから先、今より健康になることはあり得ないし、病気になる可能性も大だから、一人では不安である。
無償でわたしのために、あれこれしてくれる人は、他人にはいない。
それに、娘一家と付き合っていくにも、一人だと弱い面がある。
6対1では数的にも圧倒的に劣位BB腸絞痛。
仲間はずれ意識が芽生えるかも知れないし、へんに遠慮したり、、、。
夫婦二人なら、別の単体として、長女一家と対峙できそうだ。
次女や息子は自立しているからグループ外に位置し、味方でも敵でもない。
わたし一人だと、どうも弱い。
何かにつけて。
この女性の時代に、専業主婦希望の女子が増加しているとか、していないとか。
時代に逆流して、わたし、長いものに巻かれろ方式にしようかと思っている。
あの世まで、まだ30年もあるのに。
実質的には20年ぐらい残っているのだが。
頑張るのが、めんどくさいのである。
誰のために頑張るのか?
もう対象はいないので、自分のため。自分ファースト。
自分のためなら、頑張らない。
自分に手の込んだ料理は決してしない。
自分を喜ばすために頑張る人もいるだろうけれど、個人個人の性質や考え方によってそれぞれだろう。
そうやって、頑張りから手を離すと、とてもリラックス出来る。
ああいい湯だな、と喜んでいたら、長女が子供のうちの一人や二人を後継者として出してもよいよ、なんて唐突な提案をしてくる。
わたしは、もう「家」は卒業した感があるので、嬉しくないことはないが、目を輝かせるかというと、もはやそうではなく、腰が重い。
自分の全身全霊をかけて守り頑張ってきた姑の投げたボールを、ひょいっと身をかわして受け取らないでいるところなのに。
後ろからひょこんと球を受け、投げる準備をしている状況が現れ、驚いている心臟檢查。
手を離そうとした矢先。
そういうものだろうか。
でも、わたしはすっかり魂も気力も抜けた抜け殻になっている。
空気の抜けた、だっこちゃん人形は穴が開いて、いくら息を吹きこんでもピンと張らない。
今はわたしはどうも凪状態のようで、何をする気にもならない。
栄養を補充しない限り、衰える一方なのか。
まだ30年もあり、いたって心身健康なのに、この脱力状態、やる気なさは、何だろう?
次のステージへの踊り場、溜まり場?
パワー、エネルギーがチャージされるまで少し時間を必要としている。
価値観の変移途中なので、すっかり移行するまで。
そんなこと言いながら、チャージされないで失われる一方かも知れない。
成り行きを見守るしかない。
頭の上にはずしりと高齢の親たちが載って詰まり、下からは活気ある力でパワフルに突き上げられ、さらに下の下からマグマの源が生まれ、、、
否が応でも、動きのあるものに押し出され移動を余儀なくされる激流を感じずにはいられない。